町並みの整備が順調に進み、重伝建選定から十年が経過した平成二十八年、これまでの活動が実を結び始め、肥前浜宿のまちづくりが対外的に評価されます。
「平成二十八年 国土交通省手づくり郷土賞」「美し国づくり景観大賞」「日本ユネスコ協会連盟未来遺産2016登録」の栄誉に輝きました。全国的に注目が高まり、観光客も増え、移住を希望する若者も増加。
その注目を集めるきっかけの一つが酒蔵ツーリズムの成功です。
平成二十三年、富久千代酒造の「大吟醸鍋島」がインターナショナルワインチャレンジで世界一の酒の称号を得ました。
その候補になった段階でワインツーリズムの世界を酒でも実現できないかという人がいました。IWCアンバサダーの平出淑恵氏です。
平出氏はIWCの日本酒部門創設に尽力し、衰退傾向にある日本酒を海外へ向けて発信したいとの夢を描いていました。
チャンピオンになった地域でツーリズムを実現したいと、人脈を駆使して佐賀県の関係者に働きかけ、鹿島市へ足を踏み入れたのは発表の一月前でした。
県や市の関係者、酒蔵の代表に「ワインの世界ではチャンピオンになった地域に全世界から人が押し寄せる。
日本酒にはその文化がない。
チャンピオンを獲得できたら一緒に取り組んで欲しい」と語りかけました。
九月上旬、ロンドンの審査会で「大吟醸鍋島」の受賞が発表され、二十日後には異例の速さで会議が招集され、この時に鹿島酒蔵ツーリズムという名称がつけられました。翌年三月第一回目のイベントを開催することを決定しましたが、季節は十月、すでに酒造りのシーズンを迎えようとしている中で、足並みがそろいませんでした。
メインは六蔵の合同蔵開きですが、蔵開きの経験がなかった蔵は「今回は辞退したい」との声も上がりました。
当時、関係した県の職員は「六蔵でやらなければ意味がない。
来年は次のチャンピオンが誕生する。千載一遇のチャンスは今年だけ」と力説しました。
紆余曲折の中でのスタートでしたが、当日を迎え、朝から各会場やバス停に長蛇の列ができ、シャトルバスは超満員。
昨今あまり目にしない光景に市民から喜びの声が聞かれ三万人が訪れました。
なかでも、購買率が九十%以上と予想を上回る経済効果に驚きました。二回目はシャトルバスを増便し五万人、三回目「は」悪天候の為四万人と減少しましたが、この天気でもこれだけの人がとむしろ自信につながりました。四回目より隣の嬉野市の酒蔵まつりと合同開催となり九蔵で実施して七万人、第八回大会(平成三十年)は九万九千人と順調に推移しています。さらに「酒蔵ツーリズム」が商標登録されると、観光庁で立ち上がった「日本酒蔵ツーリズム推進協議会」を始め大手旅行業者が使用する際に鹿島市の登録商標と明記され、国内ツーリズムの先進モデルとなりました。
社会活性化から経済活性化へ、保存修復した建物の活用が議論になります。平成十一年文化庁の保存調査報告書が刊行され、翌年「歴史的まちなみ活性化マスタープラン検討委員会」が発足、そのマスタープランを検証し新たなマスタープランづくりに向けて二十八年十月に未来プロジェクト委員会が発足しました。二十代から七十代、水とまちなみの会会員、地元住民、事業者、行政、移住者等二十三名の委員で構成されました。
まちづくりの方向性を「醸造文化の薫る歴史と自然が豊かな足腰の強いまちづくり」と定め、毎回テーマを設定し地区全体のゾーニング、一方通行、駐車場整備、浜駅改修、民泊、六次産業等について議論を重ねました。その過程において、国の観光ファンドREVICの講演のなかで町並みの保存は社会活性化、まちづくり会社をつくり経済活性化に結び付ける考え方が示されました。
鹿島市は年間三百万人以上の参拝がある日本三大稲荷の祐徳稲荷神社を核に肥前浜宿、鹿島ガタリンピックが行われる有明海のラムサール干潟など自然豊かな町であるが宿泊施設が少ない。
観光客のニーズは食事、買い物、宿泊、そのようななかで、酒蔵通りでほろ酔い、ゆっくり泊まってもらうことをコンセプトに土曜日早朝の勉強会がスタート、平成三十年一月、(株)肥前浜宿まちづくり公社が誕生しました。
同年、肥前浜駅の改修工事、旧筒井家住宅の移住体験施設、三十一年ゲストハウスまる、あんど、そば処龍庵が続けてオープンしました。
さらに令和三年三月、富久千代酒造のオーベルジュ御宿富久千代、草庵鍋島がオープン、JR九州が九州各県に展開する古民家宿泊施設第一号として「茜さす肥前浜宿」も来年一月にオープンします。
特に観光の要である新しい肥前浜駅は、クルーズトレイン「ななつ星 in kyushu 」や定時観光列車6ぷらす3」の浜駅への停車が実現。
日本初ホーム直結日本酒バー「HAMABAR」の開業につながりました。利用客の減少で無人化が進む駅の活用成功事例として評価されています。